「黒帯」である という事

「黒帯」について。


「黒帯を取る」 という事よりも大切だと思うことがある。


それは、



「黒帯としてどうあり続けるか」



ということ。






何故 誰もが 「極真の黒帯」 に憧れるのか。


それは、


これまでの黒帯の先輩方が

「黒帯の質」

を高め続けてこられた 

「不断の努力の結晶」 によるものだと私は思う。



先輩方が

黒帯というものが 「強さの象徴」 

であることを証明し続けてこられた

という事実に他ならない。




しかし、



黒帯を取得し、しばらくすると、

「強さ」 を追い求めなくなってしまう人がいる。



強さの象徴である 「黒帯」 に憧れていたはずなのに。   




そしてそのことが、

昔憧れていた 「極真の黒帯」 の 「価値」 を

自身が下げてしまっていることに気がついていない。


過去の先輩方の「不断の努力の結晶」を汚していることに

気がついていない。


自身は 「黒帯」 ということで、今現在も

道場だけでなく、実社会においても

その 「恩恵」を受けているにもかかわらず。




そんな人に私は言及したい。



極真空手に入門した以上、

「黒帯取得」 を最終目標にするのではなく

あくまでも 「強くあり続ける事」 を目標にするべきだと。




もし、「努力の結果の形」 としての黒帯取得

に満足しているのであるならば、


そういった人は、

そもそも初めから極真空手の門を叩くのではなく、

たとえば 「フルマラソン」 にでも出場し、

完走したしたことで、満足していればよいのでは

とも思ってしまう。




「極真の黒帯」 は、

いわゆる世間でいう 「資格的なもの」

とは一線を画すものなのであり、

言うなれば、 「強くあり続ける人間の象徴」 なのである。




当然のことながら、強くあり続けることは簡単なことではない。



私自身も、年齢、環境、などを言い訳にし、

「強くあり続けること」 から逃げだしたくなることがある。



しかし、だからこそ、常に 「強くあり続けよう」 とする方々を

私は尊敬しているし、自身もそうあり続けたいと考えている。



本音を言わせていただくと

それを実践されている方こそが

城北支部の本当の仲間だと考えている。




もちろん、ここで言う 「強さ」 とは

他者との比較といった安直なものではない。






今日は自分がどうしても皆様にお伝えしたいこと

を本気で書かせていただきました。


といいますのも


この度 突然ではありますが転勤のため 

今月をもちまして自分は城北支部を離れることとなったためです。


これが私の最後の 「城北ブログ」 となってしまいました。





自分を指導してくださった先生、先輩方

自分と共に稽古をしてくださった方々

自分の試合を応援して下さった方々

本当にありがとうございました。




これからも城北支部で学んだことを忘れずに

極真会館城北支部の黒帯として

誇りをもった生き方をしていきます。



山下悠毅